「家シリーズ」の最終年度である2020年においては、家を反復の現象体と捉えていく視線を持っていきます。家は、反復(単なる、繰り返しでなく、)として、生きられ続けていく現象であることを表現する内容です。反復の概念は、
「反復の弁証法は容易である。なぜなら、反復されるものは存在していたものだからである。もしそうでないなら反復されないであろう。けれども、まさにそれが存在していたということ、そのことこそが、反復を新しいものにするのである。」キルケゴール「反復」より、
「永遠こそは真の反復である。」キルケゴール「不安の概念」より、
「反復とは信仰によって獲得された新しい直接性である。」キルケゴール「反復」より
これらの章句は、この展示企画の骨格であります。
ここで、反復とは、生きられる、新しい、直接的な概念として提示されているのですが、今年度の企画は、この「新しい」を、いつまでも、永遠に提示される家の存在、存続性と読み替えていきます。そして、そのことは、家の復活劇を踏まえつつ、私の実存、私が家に繋がっている存在であることを示すものです。家が、常に、復活の劇を踏まえ永遠に動いていく動態であることを、インスタレーションの手法と、身体表現の手法に拠って提示されるのです。
そして、「反復されるものは存在していたものだからである。」の章句の様に、反復は、過去が無いと動いていかないのです。この「過去」こそ、家の連続性を保証する言葉ではないかと捉え、家の反復を想起と捉えました。「想起」は家の起こしに成ります。「想起と反復は同一の運動である。」キルケゴール「反復」より、を頼りに、家の反復と想起を「家・ミュージアム」空間で実現していきます。
もうひとつ、大事なこととして、2019年の展示の様に、家は地域社会の層の内に構成されて行きます。そして、家は「被る器」でもあるのですから、地域社会のさまざまな出来事、自然の出来事に直結しています。そうした直接性こそ、家が時代に露出する最もありありとした出来事なのだと言えますが、この家を、営む人と社会が慰霊する行為、家への働きかけが、実は、家を作っていくことであることを証するために、「慰霊の家」を展示空間に、モチーフとして織り込んでいきます。そして、慰霊とは、本来,創る行為であることを提示していきます。
総合監修:森 繁哉