くりはら万葉祭 -土と火のまつり-

パフォーマー・オブジェ作家

城生野神楽
宮城県栗原市築館 南部神楽

2013/2014/2015/2017/2018/2020

パフォーマンス紹介

パフォーマンスについて

栗駒山の山麓は、修験のさとと言われ、特に岩手・宮城の県境に位置する自鏡山(じきょうざん)は縁起も古く、奥州藤原時代からの霊山であり、長い間羽黒系修練の中心地として多くの信仰を集めていました。江戸時代の承応年間、羽黒系山伏(法印)神楽が伝来し、自鏡山に修練道場がおかれ、神楽はこれらに属する山伏により各神社の祭礼に舞われていました。

城生野神楽は、寛永年間(400年前)に、城生野の富助が自鏡山で山伏に神楽を習得して城生野の人々に伝え、城生野神楽を創設し、地元の神社の例大祭で奉納したのが始まりと言われています。それ以来、これまで長年にわたり城生野神楽は、富助の習得した自鏡山の山伏神楽の正統を守りながら地元の例大祭では湯立て神楽などを奉納してきました。

明治維新後は、神仏分離により修験道の廃止により法印の制度がなくなると、農民も神楽を舞うことができるようになりました。祈祷や奉納よりも農民の娯楽として始められ、各地の伝説や神話に基づいた物語を演じ、躍動感あふれる「せりふ神楽」として、大衆向け娯楽性を強くした農民神楽が南部神楽です。

東北大学大学院情報学研究部渡部研究室によりますと「城生野神楽系の神楽は、岩手県南から栗原・登米・遠田まで流伝した」とあり、さらに「城生野神楽は城生野の八幡神社、延喜式内杜である香取御子神社(鹿島神社)に毎年奉納されている。往時は直接神に使えると称し、神官による認証制度により城生野神楽の筆頭者が毎年尾松屯ケ岡神社に奉仕してきた」と調査しています。

(これはりの里神楽伝承まつり 伊治(これはり)城築城1250年 パンフレットより引用)