風の沢ミュージアム 明日開館

大変長らくお待たせいたしました。

並びに更新が遅くなってしまいご迷惑をおかけしておりましたこと、心よりお詫び申し上げます。

昨今のコロナ騒動で、当館としても方針を打ち立てるため多少の時間を要しておりましたが、明日5月2日土曜日午前11時より予定通りの開館となりました。

応援いただき、また心待ちにしてくださった皆さま方に厚く御礼申し上げます。

 

以下詳細ですが、新型コロナウィルス感染拡大防止のため当初の予定とは内容を変更し、

当日開館と同時に、築館の城生野神楽による奉納演舞を母屋前の庭にてとり行います。

邪気払いの意味を込めた素晴らしい舞をご覧いただきたいと思います。

それを皮切りに屋内展示も展開させていただく段取りとなります。

本年度の企画展は、行動芸術展「反復の家―寄りあう場への誘い」です。

三年シリーズの最終年ということで、人が寄り添っていく家とは何かを三人の作品をアーティストの作品を通して問いかけていきいます。

このような難しい時節ではありますが、当館としては当初の予定通り10月25日日曜日までの開館を予定しております。

期間中折合いを見てご来館いただければ幸いです。

スタッフ一同心よりお待ち申し上げます。

 

なお今後の予定を以下の通り周知いたしますので、なにとぞご理解いただきたくよろしくお願い申し上げます。

・5月2日が雨天の場合、神楽奉納は3日に順延します。(2日神楽奉納演舞が行われた場合3日は休館となります。)

・5月2日または3日以降、6日まで当初の緊急事態宣言発令に鑑み、休館とさせていただきます。

・開館日は基本10月25日までの土日祝日ですが、コロナウィルスの感染拡大動向を見て当館が判断し当ホームペー        ジ並びにフェイスブックによって順次告知させていただきます。

・リーフレットに記載のありました今年のイベントのうち、7月25日までのものを全て中止とさせていただきます。

理由は今夏までにコロナウィルスの蔓延の収束のめどが立たないためです。

それ以降予定されているイベント開催有無については随時こちらより発信させていただきます。

 

以上取り急ぎご報告とさせていただきます。

 

「縄文土器ワークショップ」

「縄文土器ワークショップ」


日時:4月29日(月・祝) 15:00~17:00
望月 昭秀編集長も参加。 縄文文化研究会講師の指導により縄文土器作りを行います。
場所:レジデンス棟
料金:1,000円
主催:縄紋文化研究会
サステイナブル縄文展2019」関連イベント

「青木和子が創る食世界 LUNCH & TEA」

「青木和子が創る食世界 LUNCH & TEA」
《LUNCH》デザート・ドリンク付 2,500円(税込)

10/1(土)、10/2(日)

各日〈1回目:11:30~13:00〉〈2回目:12:30~14:00〉※各回限定10席ですので、ご予約ください。
《TEA》お茶とお菓子 1,200円(税込)
14:00~16:00 特製ハーブティーなどご用意しています。

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おかざき乾じろワークショップ「グランドマスター・ミリキタニ とともに考えるPOSTUMUM」

おかざき乾じろワークショップ

グランドマスター・ミリキタニ とともに考えるPOSTUMUM

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 風の沢ミュージアムでは、開催中のおかざき乾じろ「POST/UMUM=OCT/OPUS」展 に関連して、おかざき乾じろによるトークを開催します。三回目になる今回は、ドキュメンタリー映画『ミリキタニの猫』(リンダ・ハッテンドーフ監督)で知られるようになった、日系人画家ミリキタニについて語ることから話を広げていきます。

 『ミリキタニの猫』(リンダ・ハッテンドーフ監督)と、今年公開された『ミリキタニの記憶』(マサ・ヨシカワ)を合わせました、『ミリキタニの猫≪特別篇≫』の上映を行います。東北で上映される機会がなかっただけに、これは貴重な機会になるでしょう。

『ミリキタニの猫』は、路上生活を送っていた日系人画家ジミー・ミニキタニとの出会いから生まれたドキュメンタリー映画。かつて日系人収容所に収容されていたこともあるミリキタニの失われた60年を映画はたどりつつ、発見された後の人生を一緒に生きる。『ミリキタニの記憶』は、2006年に製作された本編から10周年を記念した2016年、過去のミリキタニを知る人々の証言や当時の写真・絵を通し、92年間の波乱に満ちた生涯を追う新作短編ドキュメンタリー映画です。

https://www.youtube.com/watch?v=wmbIN1HkzGw

日時:10 月22 日(土)14:00 より

料金:1,500円(1drink付き)

peace-2003

 

作品の背景(以下公式サイト http://nekonomirikitani.com/background/より)

「ミリキタニの猫」撮影が始まるまで

ジミーことジミー・ツトム・ミリキタニは1920年6月15日カリフォルニア州サクラメントに生まれた日系2世。ジミーの生後ほどなくして一家は日本に帰国、父の故郷である広島県佐伯郡五日市村(現広島市佐伯区五日市)に住む。

自らを天性の画家で「グランドマスター(巨匠)」だと言うジミーは、小さい頃から絵心があった。17~18歳のころには高校の夏休みを利用して、オークランドにいた叔父を訪ねた。当時、サンフランシスコとオークランドを結ぶベイブリッジはできたばかり。その時分に従兄弟のフランクやテッドと一緒にストックトンの葡萄畑で葡萄を積んだトラックを運転した記憶もある。

「優れた日本の芸術を世界に紹介する」という大志を抱いてアメリカに「帰国」(キベイ)したジミーは、当時結婚してシアトルに移住していた姉の元に寄留する。1941年12月7日に真珠湾攻撃が起こり、翌年2月19日、ルーズベルト大統領が大統領行政令9066号に署名。アメリカ西海岸一帯に住む日系人は強制収容されることになる。

ジミーはワシントン州ピュウアラップの集合センターに送られる。その後、カリフォルニア州北端のツールレイクに収容所が新しく開設されることになり、5月にツールレイク収容所の開設とともに移った。

ツールレイクは、日系人計12万人を収容した10ヶ所の強制収容所の中で最大の収容所となった。有刺鉄線のフェンスで囲まれた収容所は、武装した兵隊の銃口は外に対してではなく収容所内の日系人に向けられていた。

ジミーは強制収容所で子供たちに絵を教えた。その中にジミーの後をいつもついてまわる猫好きの男の子が1人いた。その子にせがまれて猫の絵をよく描いてやったと言う。しかしその子はほどなく亡くなって、ツールレイクの砂漠に埋葬されている。

ツールレイクは10ヶ所ある日系人強制収容所の単なる1つだったが、1943年に入ってから米国に対する忠誠審査でアメリカに対して「敵性」と見なされた日系人を集める「隔離センター」となり、他の収容所から親日派とみなされた人たちなどが続々と送られてきた。そして1944年の終わりから1945年始めにかけて5,000人ほどの日系人が米国市民権を放棄する。アメリカ政府による米国市民に対する市民権剥奪のような側面もあった。ツールレイク収容所では、米国生まれの日系人の10人に7人が米国市民権を「放棄」している。

1945年8月6日、収容所から遠く離れた「故郷」広島に原爆が投下。8月15日、大日本帝国はポツダム宣言を受諾し無条件降伏。戦時転住局が管理していた日系人強制収容所は閉鎖されていく。

1946年3月、ジミーは400人以上の「市民権放棄者」とともに、「日系人強制収容所」(戦争中にアメリカ陸軍の主導で設立)とは趣の異なる、司法省移民局の管轄下のテキサス州クリスタルシティ収容所に送られる。釈放を求める請願書は却下された。

終戦の年の8月にサンフランシスコのウェイン・コリンズ弁護士が「市民権放棄者」の側に立って、放棄は違法だとアメリカ政府と戦い始める。その後20年近くの年月を要したが、「市民権放棄者」5000人近くの日系人の市民権回復を勝ち得ていく。

クリスタルシティで半年ほどが過ぎた時、テキサスの砂漠にあるこの収容所に、ニュージャージー州にあるシーブルック農場の経営者が若い労働力を求めてやって来た。ジミーは「緩やかな抑留」という身分で若者200人とともにシーブルックへ移る。シーブルック農場の生活は週6日の1日12時間労働。わずかな賃金で外出も厳しく制限される過酷な環境だったが、それまでの生活よりは自由だったようだ。毎日ベルトコンベアーに乗ってくる野菜の選別をして2年間を過ごした。

後に自由の身となったジミーは、ニューヨークに来た。料理を学び、コックとしてあちこちのレストランで働く日々が始まった。その後数年間は東海岸の各地を、季節労働者のようにコックとして転々と渡り歩いたようだ。

サツ氏というお金持ちに出会ったのは1960年代後半らしい。サツ氏のパーク・アベニューのマンションに住み込みとなる。1986年にサツ氏が死去。その後サツ氏のマンションを退去することになり、それからのジミーの足取りは公的な記録にはみつからない。

カンザス大学名誉教授ロジャー・シモムラがジミーと出会ったのは1999年の終わり。インターネットのオークションに出ている絵の売り主からジミーのことを知ったシモムラは、次にニューヨークを訪れたときにワシントンスクエア公園に行ってジミーと会った。ともに強制収容所の絵を描く日系人アーティストとして仲良くなり、その後シモムラはニューヨークに来るたびにジミーを訪れるようになる。

2001年元旦、ジミーはソーホー、6番街の韓国人経営のデリの店の脇で絵を描いていた。近くに住んでいて通りかかったリンダ・ハッテンドーフは猫の絵に惹かれ、絵を買おうとするとジミーは「写真を撮ってくれ」という。それが『ミリキタニの猫』のきっかけとなった。その後ほぼ毎日、リンダは仕事の行きないし帰りにビデオカメラを持ってジミーを訪れるようになる。(カメラを忘れるとジミーにしかられたという。)◆