「サステイナブル 縄文展 2019」

「サステイナブル 縄文展 2019」

4月27日(土)〜5月6日(月祝)

10時〜17時 
*最終日は15時まで
入場無料
*トークショー、ワークショップ、カフェは別途料金が必要

主催:縄紋文化研究会
協力:東北芸術文化学会、風の沢ミュージアム、NPO法人帰園田居創生機構

【イベントコンセプト】
1万年以上続いたとされる縄文時代。これほど長期で1つの時代が続いた歴史は世界に例がなく近年、
世界からの注目度が増しています。現代社会が求めている自然とのバランスや、
社会のヒントは縄文時代にあるのかも知れません。
本展においては、土器・土偶の展示を通して、縄文という時代に想いを巡らせ、
地続きとしての“縄文時代”を感じ得る一つの機会にできればと考えています。

【縄紋文化研究会とは】
主に宮城に住む“縄文大好き”な人が集い、土器製作や野焼といった
実験考古学的活動を中心に縄文文化の謎を探求する研究会。
土器の作成を行うと共に、縄文時代の素晴しさを解説する活動を通じて、縄文大好き人材も発掘中。
主な出没イベントは「縄文の炎・藤沢野焼祭」「くりはら万葉祭」「アースデイ宮城おおさき」など。
“縄文人はどの様な事を考え生活していたか?”縄文文化を知った上で、自分の縄文はどんな物か向き合い、
土器制作に取り組んでいます。

1.縄文土器の展示販売
縄紋文化研究会会員による作品の展示と販売を行います。
4月27日(土)〜5月6日(月祝)
時間:10時〜17時(*最終日は15時まで)
会場:風の沢ミュージアム内 ギャラリー
入場無料
先着100名様へ土製品プレゼント
《参加メンバー》
大木義則、廣瀬欣孝、杉浦風ノ介、尾勝健太、Joshua Bengtson、
岡野龍泉、門間裕治、みはらかつお、佐京窯、吉田孝幸

2.縄文トークショー
望月昭秀(縄文ZINE編集長)をお招きし、縄文時代の生活やその魅力についてお話しします。
4月29日(月祝)
時間:13時〜14時30分
会場:風の沢ミュージアム内 万葉祭広場 (雨天時はカフェで開催)
出演:望月昭秀(縄文ZINE編集長)、他
料金:1,500円
予約:電話0228−52−2811/メール:jomonjine@furo-kikaku.com
*氏名、参加人数、携帯番号をお知らせください。

3.縄文土器ワークショップ
望月昭秀 編集長も参加
縄紋文化研究会講師の指導により縄文土器作りを行います。
4月29日(月祝)
時間:15時〜 17時
会場:風の沢ミュージアム内 万葉祭広場
料金:1,000円/予約不要当日受付

4.縄文カフェ
縄文土器をイメージしたカップでコーヒーを提供
縄文クッキーの販売を行います。
4月27日(土)〜5月6日(月祝)
時間:11時〜17時
会場:風の沢ミュージアム内 カフェ
コーヒー400円〜 土器クッキー 他

【縄紋文化研究会 会長 大木義則】
1945年静岡県生まれ。國學院大学卒業。教育美術教材メーカーに在職しながら縄文土器の研究活動を行う。
1991年頃より加曽利貝塚博物館にて縄文土器の制作、野焼き等の研究活動を行う。
1995年東北芸術文化学会入会(現在監査役)。2010年陶炎会入会。年1回の作品展を東京の松坂屋、丸善で開催。
2006年より栗原市金成に拠点を移し、縄文土器制作、土器 焼き等の研究活動を行いながら、
東京、埼玉、青森、岩手、秋田、宮城にて土器、土偶制作の指導を行っている。

【縄文ZINE 編集長 望月昭秀】
1972年弥生遺跡である登呂遺跡で有名な静岡県生まれ。株式会社ニルソンデザイン事務所代表/縄文ZINE編集長。
ニルソンデザイン事務所は商品パッケージから書籍、雑誌まで、グラフィック全般を幅広く手がけているデザイン事務所。
2015年からフリーペーパー「縄文ZINE」を発行。著書に『縄文人に相談だ』、『縄文力で生き残れ』など。


【縄文ZINE】
2015年の夏から発行されているフリーペーパー(現在9号まで発行)。発行を重ねるごとに全国で新しい縄文ファンを発掘し、
現在は毎号3万部を発行、日本全国300箇所以上で配布されている。

「野焼き大会」

10月8日(日)

「野焼き大会」


縄文土器を野焼きにて焼成します。
10時から点火し、16時頃に焼成を終え、17時頃には取り出されます。
18時からはカフェにてライブパーティーをおこないます。

「踊駄黙考」

9月23日(土)

「踊駄黙考」


企業内研修会場、多業種を各支店ごとに扱い時代を生きぬいてきたが、未来への風は真逆に吹き始めたらしい。本物だけが必要とされスピードは削ぎ落とされるらしい。驚愕の信実が今、言語に!!
「踊駄黙考」
なかじょうのぶ作・演出
出演:Kイノマタ/海苔のりこ/熊谷由海/尾形美香/東加代子/小野寺晋/なかじょうのぶ
料金:(1drink付)前売2,500円/当日3,000円(税込)
※未就学児無料
場所:風の沢ミュージアム・カフェ
時間:1ステージ開場12時30分、開演13時、終了14時35分
2ステージ開場15時30分、開演16時、終了17時35分
予約:風の沢ミュージアム(代表者氏名、連絡先、人数をお知らせください)tel.fax:0228-52-2811/mail:info@kazenosawa.jp
風の沢ミュージアム今年度企画展作家・木村泰平とのコラボレーションとなります。終演後にアフタートークをおこないます。
主催:劇団三ヵ年計画
共催:風の沢ミュージアム・NPO法人帰園田居創生機構
協力:舞台監督工房・KIKORIフォトスタジオ・武川正悦・柴田環・尾形幸哉・カントリーストア・オレンジジュースフィルム・デザインルームJIN

「くりはら万葉祭」

9月10日(日)

「第10回くりはら万葉祭」


縄文土器の野焼きと地域の伝統芸能を主体とした、土と火のまつりです。
栗原市内を中心とした11店舗の出店が並びます。
今年度企画展作家・木村泰平が、土のオブジェを手掛けます。
時間:12:00~20:30
  開会式12:00 清め祓い、鶏舞、点火式など
  昼の部14:00~17:00 ワークショップ(土器づくり、芸能体験)
  夜の部18:00~ 伝統芸能上演(鹿踊、神楽など)
場所:風の沢ミュージアム・さとやま広場
駐車スペースに限りがありますので、乗り合わせの上お越しください。

「落ちる散る満ちる 松本一哉リリースツアーin風の沢」

9月5日(火)

「落ちる散る満ちる 松本一哉リリースツアーin風の沢」

松本一哉「落ちる散る満ちる」リリース―ツアーIN風の沢ミュージアム
開場:18:30 開演:19:00
会場:風の沢ミュージアム・カフェ
出演:松本一哉
料金:(1drink付)前売2,000円/当日2,500円
未就学児無料、風の沢CLUB会員500円引き
予約:風の沢ミュージアム(代表者氏名、連絡先、人数をお知らせください)

「ブツマデマツ」

8月27(日)

「ブツマデマツ」

木村泰平が仏間でお待ちしております。
この日は一日限り、仏間と床の間の建具を取り払います。ナイトミュージアムに引き続き、作品の見え方の違いを体感できる貴重な機会となります。
参加費:入館料700円(風の沢CLUB会員無料

さとやま美術室「うちわに絵を描くワークショップ」

8月12日(土)、13日(日)

さとやま美術室「うちわに絵を描くワークショップ」
日本画の水干(すいひ)絵具を使って和紙のうちわに絵を描くワークショップ。日本画の水干絵具は古来からの顔料で色彩がとても落ち着いた風合いです。草花、果物、目に見えない風や音を感じて描くなどテーマは自由。夏の思い出を彩りましょう!気軽に楽しめるあらかじめ水でといた絵具をご準備しています。描きたいモチーフがあらかじめ決まっている方はモチーフやスケッチなどをお持ちください。なにを描いたらいいのかわからない場合は下絵をご用意しております。
ワークショップ講師 一條好江(日本画家)

時間①13301430 ②15001530  (制作時間30分~1時間程度)
場所板倉ギャラリーを予定
参加費1本1,000円(お一人様2本まで)※風の沢CLUB会員は100円引き
対象小学生~大人向け
定員20名(団扇がなくなり次第終了)
申し込み方法メールか電話、または受付スタッフへ直接ご連絡ください。
(日時、代表者氏名、人数、連絡先をお知らせください)
予約せずに当日参加も可能です。
「絵具の簡単な説明」
水干(すいひ)絵具は、天然の土、または胡粉や白土を板状のかたまりにして染料を染め付けた微粒子の日本画絵具です。天然の土からつくられたものと、人工的に染料を染め付けてつくられたものは別物ですが、どちらも天日干しで乾燥して精製するので同じ水干として扱われています。板上なっているものを溶く前にすりつぶします。接着剤となる膠(にかわ)を混ぜ合わせ水で溶いて絵を描きます。日本画の絵具は古来からの顔料で色彩がとても落ち着いた風合いです。水干絵具という主に土が原料の顔料に接着剤を混ぜて水で溶いて描きますが、今回は気軽に楽しめるあらかじめ水でといた水干絵具をご準備しています。また表現の幅を広げて楽しめるようアクリル絵の具を併用して描くこともできます。

「青木和子が創る食世界 LUNCH & TEA」

「青木和子が創る食世界 LUNCH & TEA」
《LUNCH》デザート・ドリンク付 2,500円(税込)

10/1(土)、10/2(日)

各日〈1回目:11:30~13:00〉〈2回目:12:30~14:00〉※各回限定10席ですので、ご予約ください。
《TEA》お茶とお菓子 1,200円(税込)
14:00~16:00 特製ハーブティーなどご用意しています。

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おかざき乾じろワークショップ「グランドマスター・ミリキタニ とともに考えるPOSTUMUM」

おかざき乾じろワークショップ

グランドマスター・ミリキタニ とともに考えるPOSTUMUM

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 風の沢ミュージアムでは、開催中のおかざき乾じろ「POST/UMUM=OCT/OPUS」展 に関連して、おかざき乾じろによるトークを開催します。三回目になる今回は、ドキュメンタリー映画『ミリキタニの猫』(リンダ・ハッテンドーフ監督)で知られるようになった、日系人画家ミリキタニについて語ることから話を広げていきます。

 『ミリキタニの猫』(リンダ・ハッテンドーフ監督)と、今年公開された『ミリキタニの記憶』(マサ・ヨシカワ)を合わせました、『ミリキタニの猫≪特別篇≫』の上映を行います。東北で上映される機会がなかっただけに、これは貴重な機会になるでしょう。

『ミリキタニの猫』は、路上生活を送っていた日系人画家ジミー・ミニキタニとの出会いから生まれたドキュメンタリー映画。かつて日系人収容所に収容されていたこともあるミリキタニの失われた60年を映画はたどりつつ、発見された後の人生を一緒に生きる。『ミリキタニの記憶』は、2006年に製作された本編から10周年を記念した2016年、過去のミリキタニを知る人々の証言や当時の写真・絵を通し、92年間の波乱に満ちた生涯を追う新作短編ドキュメンタリー映画です。

https://www.youtube.com/watch?v=wmbIN1HkzGw

日時:10 月22 日(土)14:00 より

料金:1,500円(1drink付き)

peace-2003

 

作品の背景(以下公式サイト http://nekonomirikitani.com/background/より)

「ミリキタニの猫」撮影が始まるまで

ジミーことジミー・ツトム・ミリキタニは1920年6月15日カリフォルニア州サクラメントに生まれた日系2世。ジミーの生後ほどなくして一家は日本に帰国、父の故郷である広島県佐伯郡五日市村(現広島市佐伯区五日市)に住む。

自らを天性の画家で「グランドマスター(巨匠)」だと言うジミーは、小さい頃から絵心があった。17~18歳のころには高校の夏休みを利用して、オークランドにいた叔父を訪ねた。当時、サンフランシスコとオークランドを結ぶベイブリッジはできたばかり。その時分に従兄弟のフランクやテッドと一緒にストックトンの葡萄畑で葡萄を積んだトラックを運転した記憶もある。

「優れた日本の芸術を世界に紹介する」という大志を抱いてアメリカに「帰国」(キベイ)したジミーは、当時結婚してシアトルに移住していた姉の元に寄留する。1941年12月7日に真珠湾攻撃が起こり、翌年2月19日、ルーズベルト大統領が大統領行政令9066号に署名。アメリカ西海岸一帯に住む日系人は強制収容されることになる。

ジミーはワシントン州ピュウアラップの集合センターに送られる。その後、カリフォルニア州北端のツールレイクに収容所が新しく開設されることになり、5月にツールレイク収容所の開設とともに移った。

ツールレイクは、日系人計12万人を収容した10ヶ所の強制収容所の中で最大の収容所となった。有刺鉄線のフェンスで囲まれた収容所は、武装した兵隊の銃口は外に対してではなく収容所内の日系人に向けられていた。

ジミーは強制収容所で子供たちに絵を教えた。その中にジミーの後をいつもついてまわる猫好きの男の子が1人いた。その子にせがまれて猫の絵をよく描いてやったと言う。しかしその子はほどなく亡くなって、ツールレイクの砂漠に埋葬されている。

ツールレイクは10ヶ所ある日系人強制収容所の単なる1つだったが、1943年に入ってから米国に対する忠誠審査でアメリカに対して「敵性」と見なされた日系人を集める「隔離センター」となり、他の収容所から親日派とみなされた人たちなどが続々と送られてきた。そして1944年の終わりから1945年始めにかけて5,000人ほどの日系人が米国市民権を放棄する。アメリカ政府による米国市民に対する市民権剥奪のような側面もあった。ツールレイク収容所では、米国生まれの日系人の10人に7人が米国市民権を「放棄」している。

1945年8月6日、収容所から遠く離れた「故郷」広島に原爆が投下。8月15日、大日本帝国はポツダム宣言を受諾し無条件降伏。戦時転住局が管理していた日系人強制収容所は閉鎖されていく。

1946年3月、ジミーは400人以上の「市民権放棄者」とともに、「日系人強制収容所」(戦争中にアメリカ陸軍の主導で設立)とは趣の異なる、司法省移民局の管轄下のテキサス州クリスタルシティ収容所に送られる。釈放を求める請願書は却下された。

終戦の年の8月にサンフランシスコのウェイン・コリンズ弁護士が「市民権放棄者」の側に立って、放棄は違法だとアメリカ政府と戦い始める。その後20年近くの年月を要したが、「市民権放棄者」5000人近くの日系人の市民権回復を勝ち得ていく。

クリスタルシティで半年ほどが過ぎた時、テキサスの砂漠にあるこの収容所に、ニュージャージー州にあるシーブルック農場の経営者が若い労働力を求めてやって来た。ジミーは「緩やかな抑留」という身分で若者200人とともにシーブルックへ移る。シーブルック農場の生活は週6日の1日12時間労働。わずかな賃金で外出も厳しく制限される過酷な環境だったが、それまでの生活よりは自由だったようだ。毎日ベルトコンベアーに乗ってくる野菜の選別をして2年間を過ごした。

後に自由の身となったジミーは、ニューヨークに来た。料理を学び、コックとしてあちこちのレストランで働く日々が始まった。その後数年間は東海岸の各地を、季節労働者のようにコックとして転々と渡り歩いたようだ。

サツ氏というお金持ちに出会ったのは1960年代後半らしい。サツ氏のパーク・アベニューのマンションに住み込みとなる。1986年にサツ氏が死去。その後サツ氏のマンションを退去することになり、それからのジミーの足取りは公的な記録にはみつからない。

カンザス大学名誉教授ロジャー・シモムラがジミーと出会ったのは1999年の終わり。インターネットのオークションに出ている絵の売り主からジミーのことを知ったシモムラは、次にニューヨークを訪れたときにワシントンスクエア公園に行ってジミーと会った。ともに強制収容所の絵を描く日系人アーティストとして仲良くなり、その後シモムラはニューヨークに来るたびにジミーを訪れるようになる。

2001年元旦、ジミーはソーホー、6番街の韓国人経営のデリの店の脇で絵を描いていた。近くに住んでいて通りかかったリンダ・ハッテンドーフは猫の絵に惹かれ、絵を買おうとするとジミーは「写真を撮ってくれ」という。それが『ミリキタニの猫』のきっかけとなった。その後ほぼ毎日、リンダは仕事の行きないし帰りにビデオカメラを持ってジミーを訪れるようになる。(カメラを忘れるとジミーにしかられたという。)◆